-生存戦略-


 薄暗闇。
 ――ぎち。
 陽光を遮っているのは、高さ数十メートルに至る巨木の群れだ。
 空を覆い隠すほどに繁茂した樹冠、肌につく高湿、そして林内に鬱蒼と満ち満ちるシダやコケ。
 ――ぎち、ぎち。
 風が吹けば木々は揺れ、さながら巨大な獣が唸るかのごとくざわめきを響かせる。
 耳に届く虫や鳥の声は、どれも聞き慣れないもので、そこが異郷の地であることを如実に感じさせている。
 ――ぎち、ぎち、ぎち。
 生物多様性の天国。そう呼ぶに相応しい生物相を持つのがここ、赤道直下に位置する熱帯多雨林である。
 赤道直下の常夏の地、という触れ込みの割に、その気温は20度を上回ることはない。
 ――ぎち、ぎち、ぎち、ぎち。
 だがそれは、そこが魔法の力で守られているだとか、そのような不思議なことではない。標高2000メートルを超える高地に位置するためだ。
 加えて、林内から空を仰ぐこともできないほどの葉々が陽光の照り付けを防ぐことで、林内は一年を通して二十度弱という快適な気温を保つに至っている。
 通年で気温が安定し高い湿度を保つこの環境において枯木は、たとえ巨木といえどものの数年で微生物に分解され、土に還る。
 それはつまり、生命のサイクルが極めて高速で回っているということでもある。結果として、土壌は肥沃となり、植物の生長は早く、そして大きい。
 だからこそ、だろうか。

 ソレは、ソコに、居た。

 節のある六脚を曲げ、大地に立つその姿はさながら鎧武者を感じさせる。
 全身を甲冑で覆ったかのような物々しくも洗練された肢体。
 アリだ。
 だが、ただのアリではない。
 ソレは、肥沃な土壌に支えられ、1メートルを超える高さまで生長したシダ植物の半分ほどの体高を持っている。
 日本において一般的なクロオオアリと比較して、体高だけでもゆうに200倍近いという文字通りの化け物だった。
 その一挙手一投足、わずかな動きにも、甲殻の軋む、ぎち、ぎち、という音が伴う。
 黒一色の体色は、陽光の当たりづらい林内において、少しでも吸熱効率をあげるための進化だろう。
 変温動物である昆虫が巨大化することができない理由は、第一にその体表面を構築するキチンの鎧が重すぎるため、大型化することで筋肉が追い付かないというもの。そして第二には、体積比での体表面積が小さくなるため、身体の中心部まで熱を得られなくなるからだ。高すぎず、低すぎず。適温で安定したこの地の気温があるからこそ、この昆虫はここに存在することができているのだ。
 この虫の生涯産卵数は平均5個。
 往々としてr戦略をとることの多い昆虫としては異例ともいえるほどの少なさである。
 昆虫という分類の枠組みのみならず、無脊椎動物という広義分類においても、類を見ない。
 しかしそれも、この昆虫の巨大さを考えればある意味で当然ともいえる。これだけの体躯を誇るこの化けアリの生命の危機を脅かすものなど、地上にはほぼ存在しないからだ。
 とはいえ、どんな生物であっても脆弱な期間というものは存在する。
 つまり、未熟期である。
 r戦略をとる通常の昆虫であれば、多くの産卵数によってそのリスクを分散するが、k戦略をとるこの昆虫にとっては、たった1つの卵が失われただけでも大きな損害となる。
 土中、葉上、樹皮下、材内。
 昆虫の産卵場所は、その多様性に比例して極めてバリエーションに富んでいる。
 その中でも、最も安定性が高いのは材内であるといえる。外敵から身を守るシェルターと栄養摂取の場を両立しつつ、気温や湿度といった外界の変化を極めて軽微なものへと緩衝してくれるからだ。
 だが、この虫ほどに巨大な生物の卵を安全に守ることのできる材などありはしない。
 それゆえに、他の昆虫では考えることのできないような生存戦略をとる。
「い、や、ぁっ!」
 叫び。
 それも女の、拒絶の意思を込めた絶叫だ。
 声は化けアリの下から聞こえていた。
 黒髪を肩上ほどで切り揃えた女性が、化けアリの前脚に押さえつけられている。
 人間が昆虫に押し倒されているという、シュールさすらも感じさせる非現実的な光景。
 この快適な気温にもかかわらず肌の露出を極限まで避けた服装や、くたびれた装備の数々から見てとるに、いかにも研究者といった印象を与える人物だった。
 化粧っ気はなく、華美でこそないものの、顔立ちそのものは端正だ。だが、今はその端正な造形も恐怖に歪み、その瞳には涙が溜まり零れ落ちる寸前だ。
「やめて、やめっ!」
 女は必死に捕縛から逃れようとするも、人間の腕ほどもある符節で腐葉土の積もった林床に押し付けられれば、人間の力では到底抵抗することなどできはしない。
 ただ、化けアリの甲殻と擦れ合った皮膚に擦過が生まれるだけだ。
 彼女はこの森に研究のためにやってきていた。熱帯多雨林の生物相は、未解明の部分がまだまだ多いのだ。
 そうして林内奥深くへとやってきた彼女は、この化けアリに唐突に押し倒された。
 当然、これほどに巨大なアリなど見たこともなければ、聞いたこともない。古生代に存在していた史上最大の昆虫とされるメガネウラですら70センチ余りだ。人類史上に残る世紀の発見といってもいい。
 しかし、それもこれも、すべては生きて帰ることができれば、という話だ。
 生物学者である彼女には、全長1メートル半を超えるアリというものがどれほどの脅威であるのかがリアルに理解できてしまう。
 これだけ巨大な生物だ。その身体の維持には、多大なカロリーを必要とするはずだ。
 そして、肉食昆虫であるアリがそれだけのカロリーの摂取をどのように行なうのか。
 ライオンやチーターなどといった肉食の大型哺乳類などどころの話ではない。
「くっ、くそっ! せっかくのっ!」
 まさしく絶体絶命というに相応しいこの状況にあっても、自らの命の危険よりも、こn発見を世に伝えることができないことに対する歯がゆさが先にきているあたり、彼女は生粋の研究者といっていいだろう。
 しかし、彼女が考えていた最期の瞬間は、一向に訪れない。
 化けアリは、彼女の匂いを嗅ぐかのように触角を揺らし続けている。それがどんな意味を持っているのかまでは、彼女にもわからない。
 だが、それが決して自分にとって良い意味を持っているものではないと考えられる程度には、アリの様子は友好的には見えなかったし、彼女は楽観的でもなかった。
 しばらくの間、化けアリはそんな動きを続けたかと思うと、中脚を使って彼女のズボンをずり下ろした。
 力任せに下着ごとはぎ取られたズボンは半ば破けてはいたものの、彼女自身の身体には傷はない。意外なほどに器用な動きでもあった。
 あまりに突然の出来事に、一瞬反応することのできなかった彼女だったが、すぐに自分に起こった異常に気付き、
「キャァァァァァァァァ!」
 叫んだ。
 林内で裸の下半身を晒すという羞恥。そしてそれ以上に、これから起こるかもしれない恐ろしい可能性を考えてしまったからだ。
 あまりの恐怖に、彼女の秘裂からはじょぼじょぼとアンモニア臭のする液体が零れ出し、林床を濡らしていく。
 そして、彼女は気付いてしまう。
 化けアリの腹部末端から伸びる、針にも似た器官。
 それがなんなのか、彼女にはわかる。わかってしまった。
 生物学者という、生物に対する知識を持ち、なおかつ、こんな状況にあっても冷静な観察力を働かせてしまった彼女だからこその不幸ともいえた。
「さん、ら……」
 産卵管。
 彼ら化けアリが選んだ、産卵の場所、それは――
「ぐっ、ぎぃ!」
 哺乳動物の子宮だった。
 一定に保たれた体温と環境は、文字通り子供を育むための器官だ。この虫は、他の生物のそれを利用することで、脆弱な未熟期を超すための安全なシェルターをするのだ。
 人間では決してあり得ることのない、硬質な甲殻キチンに覆われた産卵管オヴィポジタが彼女の処女穴にぶち込まれる。
「あ、がっ!」
 当然、アリに彼女を悦ばせようなどという考えがあるはずもない。
 ペットボトルを一回り太くしたような直径の産卵管が、男を知らない膣道の限界を超えて進んでいく。
 意識の飛びそうな激痛。
 たとえ処女でなかろうと、その激痛は決して和らぐものなどではなかっただろう。
 破瓜血と、産卵管を無理矢理押し込むことによってできる膣内擦過の出血が潤滑剤となって、産卵管が押し込まれていく。
「あ、が、ぎぃ!」
 最早彼女に、人間らしい言葉を発することはできなかった。
 快楽などありようもない。虫に犯される恐怖や嫌悪すら既に吹き飛んでいた。ただただあるのは思考を焼く激痛だけだ。
「い、ぁっ! ぁぁぁっ!」
 死んでしまうのではないかと思うほどの苦しみ。
 しかし神は、あるいはこの虫は、とでもいうべきか、彼女に安息を与えはしなかった。
 犯されている彼女には気付く由もなかったが、それはこの化けアリの分泌する化学物質によるものだった。痛覚神経を極限まで鈍化させ、脳内で快楽物質を発生させる。つまりは麻酔のようなものだ。
 大切な母胎が、激痛でショック死してはたまらないと、進化の末に虫たちが得た自然の神秘であった。
 挿し込まれた産卵管が子宮にまで至ると、その動きが変わる。
 前へと進もうとしていた動きが、蠕動となったのだ。
 化けアリの腹部から、産卵管を通じてペットボトルほどの大きさもある卵が、彼女の内側へと運ばれていく。
 既に彼女には、それに抵抗する気力もなかった。いかに極限まで痛覚を鈍化させられ、ショック死を免れているとはいえど、到底我慢できるような痛みではないのだ。
「ぁっ、んぁっ、ぁっ!」
 しかし、彼女の身体は、脳内で分泌される快楽物質に反応し、甘い喘ぎを上げる。
 彼女にできることは、自分が壊れないために、ただ快楽に身を任せることだけだったのだ。
 あるいは、それが既に壊れてしまっている自分を認めない逃避だったともいえるが。
 それから数十分の時間をかけて、化けアリの卵は完全に彼女の子宮へと収められた。
 産卵行動を終えた化けアリは、そのままどこへともなく消えていった。
 激痛と快楽に遂に気を失った彼女が目を覚ましたのはその翌日の午後。
 まるで子を身籠ったかのように重たくなった胎は、臨月の妊婦の如く、膨らんでいた。

掌編・その他
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