葛の葉狐


 宵闇。
 ぐにゅぐにゅ、とも、ぐちゅぐちゅ、ともとれる不気味な蠢きが響く。
 音を立てているのは肉塊としかいいようのない異形の存在だった。
 陸上に生息するあらゆる生物と似通わぬその存在は、まさしく肉塊というべき中心部から、タコやイソギンチャクといった海洋生物の持つ触手を思わせる醜悪な器官を無数に伸ばしている。
 太い場所では男の太腿ほどもあるその触碗は、無秩序に蠢いているように見えて、そうではない。
 数十とも、百以上ともとれる触手の先端が殺到するのは、和装に似ながらも、しかし身体の起伏を強調する扇情的な衣に身を包んだ少女。
 彼女の華奢な身体が、触手の剛力に絡め取られ、たやすく宙に浮かされる。
「や、やめ、やめるのじゃ!」
 少女は、その容姿に不相応な、年寄じみた口調で触手に抵抗の意思をぶつける。しかしその声は可愛らしく、とても威厳があるとは言い難い。
 残念ながらというべきか、あるいは当然というべきか、触手は意に介す様子もない。
「わ、ワシを何者と心得るか!」
 それでもなお、大仰な口調で続ける少女の頭には、通常ならばないはずのものがついている。より正確にいえば、人間であれば別の場所についているはずのものが、だ。
 それは耳。しかも、人間のものとは違う。表面に毛を蓄えたその耳は、キツネをはじめとするイヌ科の動物のそれに類似していた。
 それもそのはず、彼女の名前は葛葉。長い年月を生きることで人化するすべを得た妖狐なのだ。
「くっ……」
 葛葉は人化するほどの力を持った妖狐だ。その力は並みの人外のそれを遥かに上回る。
 まして、彼女を拘束する触手は、物理的な力こそ強いものの、下級も下級。常時の葛葉であれば、たとえ百匹が一度に襲ってきたところでたやすく吹き飛ばせるような相手だ。
 そんな相手に、葛葉が今のような無様な醜態を晒しているのにはわけがある。
「術さえ使えればこのような下賤に……!」
 妖狐である葛葉の強さを形作る、術が使えないのだ。
 理由はわからない。だが、術さえ使えなければ、葛葉の力は見た目通りの少女のものでしかない。
「くっ、このっ、触手風情がぁ!」
 表面を粘質の体液で覆った触手は、ほぼすべてが筋肉によってできているといってもいい。これほど強靭な触手ともなれば、少女の全身の骨という骨を粉砕しても有り余るほどの力があるだろう。
 しかし、触手はそうしない。
 まるで葛葉をオモチャにするかのように、触手を蠢かせ、舐っていく。
 触手は腕や足へと絡みつき、子供が着せ替え人形で遊ぶかのように、その態勢を強制的に変えさせられる。
 上下左右と揺られ、回転させられた葛葉の格好は、最早あられもないと表現すべきものとなっていた。
 袴は捲り上がり、その下から健康的なスパッツが顔を見せている。
「ふぁっ! 屈辱じゃ……!」
 そうしている間に、少しずつ葛葉の意識が肉体の感覚とズレを生み始める。
 最初は三半規管の狂いからくる酔いかと思っていた葛葉だったが、次第にそれが、そのような理由によるものなどではないことに気付く。
 熱い。
 身体が熱を持っている。
 力ある妖狐たる葛葉は、病気とは無縁の生活を送ってきた。だが、今感じている熱が、病気などからくるものでないことは明白だった。
「は、はぁ……」
 その気分、感覚が、獣の本能としてのオスを望む劣情であることを葛葉は悟る。
 そして、一度自覚してしまえばそれを止めることはできない。
 触手の体液が持つ強烈な媚薬作用が、術を使えず無抵抗となった葛葉の肌を通じて、彼女を発情させているのだ。
 触手の一本が、葛葉の秘部をスパッツの上からなぞる。
「ひぅっ!」

 何度も回転させられたことで全身にまわった媚毒の影響で敏感になった秘貝は、ただ不気味な触手に撫でられただけだというのに、はしたない声を口から漏れさせる。
 このままではマズい、と葛葉は思う。
 このままでは止まらなくなってしまう。あの頃の自分に戻ってしまう、と。
「気分はいかがかしら?」
 そんな葛葉の思考に、暗闇の中から若い女の声が介入した。
「き、貴様は! 《白面》!」
 白面、と呼ばれたのは葛葉に劣らず美しい容姿をした女性。
 葛葉と同様にその頭には狐の耳を携え、彼女もまた妖狐であることは明らかだった。
「久しぶりね、葛の葉狐」
 白面は、誰もが知る、といっても過言ではないほどの強力な妖狐である。
 その力は葛葉と同等、あるいは、最近はほとんど力を使うことのなかった葛葉よりも強いといってもいいだろう。
「わしになんの用じゃ?」
「思い出しなさい、葛の葉。あの頃を」
 かつて白面と葛の葉は友人同士だった。
 それこそ、妖狐として人化するすべを得るよりも昔、まだただの狐だった頃からの。
 そして妖狐となってからも、共に過ごし、その頃は葛葉も様々な悪行を繰り返してきた。
 しかし、妖狐となって数百年。ふとしたことから葛の葉狐は人を害することを辞めた。そしてそれが、白面との決定的な決裂でもあったのだ。
「わしは、今のわしは、葛の葉狐ではない。葛葉じゃ」
「強情ね。でもいいわ。あなたはすぐに私の大好きな葛の葉に戻る」
「あ、相も変わらず、人の話を聞かぬ奴よの。わしは、もどらんと……」
「やりなさい」
 白面が指示すると、それに従うように触手が動く。
 まるで人の指のように繊細に、葛葉の秘裂を撫で、乳首を摘み、舐る。
 だが、絶頂にまでは到達しない。
「んっ、ぁっ!」
 媚薬によって高められた今の葛葉にとって、それは拷問にも等しい現実だった。
「なに、をぉっ!」
「昔を思い出してもらうのよ」
 かつて葛葉が白面と行動を共にしていた頃、二人は人を犯し、その精気を奪うことを娯楽としていた。
 調子に乗って限界を超えて精気を吸った結果、何十、何百という人々を死に追いやってもきた。
 何より今の葛葉にとって恐ろしいのは、当時の自分は、それを心の底から楽しいと思っていたということだ。
 それゆえに、今の葛葉には、快楽が怖かった。かつての自分に引きずられてしまいそうで、何よりも恐ろしかった。
「オネエ、チャ……」
 触手の塊が、耳障りな、しかしこれまでになかった"声"を発した。
 それは、とうてい人のものとは異なる、しかし葛葉にとってはどこか聞き覚えのある声でもあった。
「クズハ、オネ、チャ……」
「雅也!?」
 その声は、葛葉を慕う幼子の一人のものに違いなかった。
 異形の姿にはなれど、しかし葛葉にはわかる。
 触手塊の本体ともいうべきその中心部には、かろうじて人間のものであると判別することのできる顔面が浮かび上がっている。
 醜悪に変えられたその顔立ちも、よく見れば、面影はあるともいえるかもしれない。
「そん、な……」
「思い出しなさい葛の葉狐。妖狐の誇りを。人を屠るあの愉悦を」
「ああ、もう、だめじゃ、わしが、わしで、なくな……」
「違うでしょう、葛の葉。それがアナタ」
 その一言一言を楽しむように、白面は続ける。
「人を傷付け、奪い、辱め、苦しめ、喚かせ、乞わせ、殺し、壊す。それがアナタの本性」
「わし、は、わし、は……」
 聞き取れないほどに小さな言葉を呟きながら、葛葉の意識は薄れていく。
 そして"葛葉"は――
「ああああああああああああああああ!」
 絶叫。
 かくん、と下を向いた顔が、次に前を向いたとき、ほんの数瞬前の彼女と同じ存在とは思えない妖艶なイロを浮かべていた。
 その瞬間、葛葉の全身から甘ったるい香りが放たれる。
 それは葛葉の持つ妖狐としての力の顕現。同性異性を問わず、狂わせるイロの香。
 低位の触手がそれに抗うことができるはずもない。
 本能の赴くがままに、葛葉を犯す。
 口も、胸も、膣も、子宮も、菊門も。
 そして、一度、また一度と精を放つたび、その精気が奪われていく。
 ものの十数分で幾度とない吐精を終えた触手は、いつしか萎んだ残りカスとなっていた。
「どう? 昔を"思い出した"気分は?」
「はン。聞くまでもなかろう。我が同胞はらからよ」
 口調自体はそう変わってはいない。
 しかし、その節々に表れる気配が、彼女が葛葉ではなく、葛の葉狐へと戻ったことを如実に示している。
まこと、人間共の死にゆく様子は何にも増す娯楽よのぅ。感謝するぞい、《白面》。この悦楽を思い出させてくれたことにのぉ」
 自らの豊満な乳房を揉みしだき、葛葉は妖艶な笑みを浮かべる。
「自分を取り戻したようで何よりよ。感謝してくれているならちょっとお願いがあるのだけれど」
「なんぢゃ?」
「あなたが厄介になっていた村、あるでしょう? あそこの人間を殺し尽くすの手伝ってほしいの」
 白面の告げた"お願い"に、
 ――葛の葉狐は、口の端を大きく吊り上げ、嗤った。

掌編・その他
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