-退魔師 柊葵-


「ん〜……」
 葵は悩んでいた。
 そのタネは、つい先日の期末考査の結果もそうだが、それ以上にやはり、失踪事件についてのものだった。
 ただの失踪事件であれば、いい加減に警察が何らかの情報を得ていてもおかしくない頃合だが、ニュースではそのようなことは一切報じられない。
 それどころか、今後は捜査が縮小に向かうのではないかと葵は睨んでいる。
 理由は単純にして明快。事件が途切れたのだ。
 これまでは一週間に一度ほど、二ヶ月弱に及んで発生していた連続失踪事件だが、葵が触手塊を滅した三週間ほど前から、それらしき失踪者はいない。
「どういうことかしらね」
 件の触手塊のような人外にも、あれ以降出会ってはいない。
 不可解さを覚えはしたものの、よく考えればあの人外は空間転移に特化した特殊な人外だったのかもしれない、と一度は葵も思った。しかし、だとすれば葵との戦闘時にそれを用いなかったのはおかしい。
 勿論、単純に連続使用ができないだけかもしれないし、使う間がなかっただけとも考えられる。
「でも……」
 何かが、ある。
 その予感は、何の根拠も無く、時間を経るごとに確信へと変わっていった。
 祖父や父も、そんな葵の勘を信じてくれていた。
 その信頼に応えるためにも、そして何よりも持ち前の正義感故に、葵は深夜の調査を続けていた。
 調査といっても、別段変わったことをするわけではない。ただ、夜間に人気の少ない場所を中心として歩き、随所で索敵の術式を行うという程度のことだ。
 それに加えて、式神を用いた探査も行っているのだが、葵自身の式神の扱いに対する不得手もあって、何の成果も挙げられていなかった。
 このまま、漫然と調査を行っていても結果は出ない。
 そう、葵は判断した。二ヶ月以上の捜索をしても尻尾すら掴めないというのは異常だった。そもそも人外の大部分は人間社会に影響を与えないか、あるいは獣と変わらない。
 前者であればこのような事件は起こさないし、後者であれば、もっと派手な行動を起こしてすぐにでも葵が滅ぼしているはずである。
 しかし、ここまで相手がわからないとなると、方針転換は必要である。改めて考えれば、もっと早くに転換すべきだったのだが、今までそういった事例が無かったためにその判断が遅れたのは仕方がないことだと言える。
 では、どのように方針を変えていくのか。そこが葵の悩みどころであった。
 そこで、葵の父は四つの選択肢を挙げた。
 第一案として、今までどおりに地道に捜索を続けること。
 第二案として、他所から術士を呼び、合同で捜索を行うこと。
 第三案として、葵が使っているような簡単なものではない、高度な探索術式を用いること。
 第四案として、事件を終わったものとして見、捜索を打ち切ること。
 父に提案された四つの案の中から、葵はすぐさま第一案と第四案を却下した。今までどおりでは意味がないことはわかっているのだし、捜索を打ち切ることなど言語道断だった。
 残るは第二案と第三案だったが、現実的に考えてみれば高度な探索術式を使うにしてもその使い手がいない。つまりは第三案を使うにしても、他所から術士を連れてこないことにはどうしようもないのだ。
 要するに、選択肢などそもそも存在しなかったのだと葵は気付き、苦笑する。
 どの術士を呼ぶのか、そしてそれが受け入れられるのかなどの問題は残っている。術士がこの街に来るまでには、どれだけ早くても一週間ほどかかる。
 増援として来る術士と、より効率よく捜索が出来るように、葵は一人ながらも捜索を続けていた。
 葵がやってきたのは、二週間前に触手塊とやりあった公園だった。僅かなものながらも、今回の件に関する数少ない手掛かり。とはいっても、触手塊そもそもが《雷丸》の術式で処分してしまったわけだが。
 一縷の願いを込めて、葵は探知の術式を使う。
「え?」
 感じ取れたその結果に、葵は感嘆の声を漏らした。
 二週間前の、あの触手塊と同じ感覚。突然現れたという点までもが重なっている。
 だが、今夜は前回とは違う点が一つあった。
 人がいるのだ。
 拙い。そう判断した葵は急いでソレの出現点へと走る。
 幸いなことに、その場所はそう遠くはない場所だった。葵の探知可能範囲がそこまで広くないのだから、当然と言えば当然なのだが。
 走り、着いた場所で葵が見たものは二つ。
 一つは触手塊。二週間前に見たものとは恐らく別個体であろうが、その差異を判別することは葵にはできないし、する必要もない。
 もう一つは男性。四十代前半ほどの、何の変哲もない男性だ。見たところ、酔いの回ったサラリーマンといったところだが、重要なのはそんなことではなかった。
 触手塊から伸びる触手が、今にも男を貫いてもおかしくない。
 酔っているためか、男は危機感を感じている様子はない。それどころか、触手塊のことを置物か何かと間違えているらしい。
「《鳴神》!」
 いつもは行っている名乗りを省略し、思考と肉体をそれぞれ加速、強化。ほぼ同時に愛用の薙刀を術式形成して男と触手塊の間に跳び込む。
 それを合図とするかのように連続で放たれる触手槍を、薙刀を短く持つことで迎撃する。触手の動きはその風貌に見合わないほど速いが、それでも反応しきれないレベルではない。
 葵は迫り来る触手を受け流し、避けながら、自身の周囲に《雷丸》の術式を展開する。
 その数は六つ。戦闘中の並列思考で葵が自在に制御できるのはそれが限界数だった。
 そこまできて、ようやく酔っ払いはこの状態が尋常ならざるものであると理解したらしい。だが、結局は腰が抜けたのかその場から動けずにいる。早くこの場から離れてくれればよかったものを、と思いつつも葵は雷球を触手塊に撃ち込んでいく。
 触手塊はその触手を地面に叩きつけると、その外見に見合わない意外な素早さで跳躍した。
 一、二発と放った雷球が虚空で爆ぜ、三、四発と放ったものは触手に弾かれる。
「ちっ」
 舌打ちをした瞬間、高速で迫っていた触手が葵を打つ。
「がはっ!」
 腹部を強打された葵の集中力が途切れ、展開していた残りの雷球が消滅する。
 これを好機と見たか、触手塊は再び触手を放ってくるが、その軌道や速度はこれまでに葵が見たものとは違った。
(私を捕獲する気ね!)
 内心で呟きつつ、微かに浮かんだその想像に吐き気を催す。
「死んでも御免よ!」
 右腕にある使い慣れた得物の感触を確かめ、握り締める。
 ただの斬撃では触手で弾かれるということは、前回の戦いでわかっている。
 故に、葵は迷うことなく一つの決断を成した。
「木気を纏いて此処に霹靂を齎さん……」
 少しずつ落下していく身体の姿勢を整え、着地に備えつつ呪言の詠唱を続ける。
 着地。
「柊流退魔術《迅雷》」
 軸足に渾身の力を込め、呪言を完成。
急々如律令いそぎてりつりょうのごとくなせ!」
 放たれる雷速の斬撃に、触手塊は成すすべも無くその身を両断される。
 勿論、雷球によるトドメも忘れはしない。すっかり炭化したその遺骸を確認してから、葵は小さく息を吐く。
「……こんな夜遅くに出歩くと危険ですよ。特に最近は失踪事件も続いてますし」
 そこまで言って、男が父ほどの年齢であることに気付く。男からすれば、子供と同じくらいの年頃の娘に説教されているという状態だ。
 そもそも、何の事情も知らない一般人からすれば、夜遅くに出歩いていて危険なのはむしろ葵のような少女の方である。
「あ、すみません、えらそうなことを言って。でも、本当に危険なので……」
 そう説明している内に、葵は気付く。
 男の身体が、消えていっていることに。
 既にそこにいない、ということではない。その身体が、少しずつ、氷が解けるようにその場から失われていっているのだ。
「何よ、これ……」
 男は既に意識もないのか、虚ろな目のままでぼんやりと葵の方を向いていた。
「食餌」
 答えを期待してはいなかった問い掛けに、背後から答えがあった。
 若い男の声。驚きのあまり、葵はほとんど反射的に振り返る。
「……いや、そう呼ぶにはあまりにも無粋か。さて、どういった言葉が最も適しているか、悩ましいところだな」
 首をかしげつつ、自問を続けるのは青年だった。
 整った作りの顔をした容姿からは十代の後半から二十代の前半ほどに見えるものの、見た目で判断してはいけないと葵の勘は告げていた。
 青年は今、目の前にいるというのに一切の気配を感じさせていない。それはあまりにも異常。
 神経を研ぎ澄まし、そこにいるものを感じ取ろうとしているのにそれができない。葵が知る最も熟達した術士である父ですら及ばない隠行といえる。
「貴方は、一体……」
「どう思う?」
「は?」
 青年の問い掛けが持つ意味を理解できず、葵は思わず眉を潜める。
「いや、私が先程行った行為、それをなんという単語で表現すべきかと思ってね……おっと、問うたのはそもそも君だったか。わかるのであればそもそも私に問うまい。今の問いは忘れてくれ。自力で解を探そう」
 その容貌と比べてあまりにもらしくない口調に気をとられつつも、葵は青年の言葉に引っかかりを感じた。
(今、何か大切なことを……)
「あの、今、何て言いました?」
「ん? まぁよかろう。私は『いや、私が先程行った行為、それをなんという単語で表現すべきかと思ってね……おっと、問うたのはそもそも君だったか。わかるのであればそもそも私に問うまい。今の問いは忘れてくれ。自力で解を探そう』と言ったのだよ。なかなかどうして私の記憶力も侮りがたいだろう?」
 青年は言った。確かに言った。私が先程行った行為、と。
 そしてそれが意味することは、この場において二つと存在しない。
 葵は後方へと跳び退き、青年から距離をとった。
「お前は、何をした?」
 無意識に葵の口調も硬くなる。
「それを思考しているのだ。食餌、という言葉が近いのだろうが無粋。あるいは情報収集というのもまた正しい解となろう」
「最近起きている連続失踪事件の犯人は……お前ね?」
「連続失踪事件? ……おぉ、成程、得心いった。確かにそれは私の所業と言って相違ない。安心したまえ、君の推理は正解だ」
 青年の答えは冷静。そして、だからこそ異常。
 その回答に葵がとった行動は一つ。
「柊流退魔師、柊葵!」
 名乗り、思考加速と肉体強化の術式を再発動。
 加えて六つの雷球を周囲に同時展開。牽制の意味を持たせつつ、踏み込み一つで大薙刀の射程ギリギリの距離へと詰められる位置をとり、構える。
「ほぅ」
 感心したように、青年は小さく声を漏らす。
 葵は雷球を一斉に放つ。それは機を見ての行動ではなく、恐怖に後押しされての行動。
 だがそれでも、葵の退魔師としての思考は術式を編み、詠唱を始めていた。
「木気を纏いて此処に霹靂を齎さん。柊流退魔術《迅雷》、急々如律令いそぎてりつりょうのごとくなせ!」
 踏み込み、一閃。
 本能的に放った一撃は、それまで葵が放ったどんな一閃よりも美しい、完璧な軌道を描く。葵自身ですら驚くほどに見事な一閃。
 だが、それが青年の胴を断ち切ることは無かった。
(え……?)
 雷の尾を引いた刃の軌跡が通る。既にそこに青年の姿はなく、雷の一閃は空を切るのみ。
「珍しい。呪言詠唱系の術士などとうの昔に衰退したと思っていたが、いる所にはいるものか」
 声の出所は背後。振り抜いた遠心力のままに、薙刀を振るう。
 再び刃が空を切り、青年の姿は正面に移動していた。
「初対面の相手を早々に殺しに来るというのは剣呑至極。物騒にもほどがあるのではないか?」
 雷球を放つも、面倒臭そうに振るわれた腕によって明後日の方向に飛んでいく。
「だが、悪くない」
 そう言って、青年は笑みを浮かべる。
 葵の本能が、危険であると告げる。正義感も矜持プライドもかなぐり捨てて、この場から一目散に逃げ去れと告げている。
 だが、葵はそれを是としない。
 本能は、逃げろと告げつつも同時に、絶対に逃げられないとも告げていた。
(何よ、何なのよ、コイツ……)
 葵は自身の退魔師としての能力に自信を持っていた。低位から中位の人外であれば容易に打ち倒すほどの実力もあった。
 しかし、目の前にいる存在は、それを鼻で笑うかのような圧倒的な能力を持っているのだ。
「器量も良いし、この場で私に背を向けて逃げ出すほど頭も悪くはないようだ」
 値踏みするように、青年は葵を上から下へと見つめながらそう言った。
「君には、私のモノになってもらおうか」
 ゾクリとした。
 青年の視線の中に、何か、想像もつかないような魔物が住み着いているような感覚を覚える。
「東精青竜」
 当たるとは思っていない。だがそれでも、撃たずにはいられない。
 左手で、衣服の中に仕込んだ呪符を取り出し、投げ放つ。
「木気よ、我に集いて魔を討つ槍を成せ……」
 詠唱を終え、鳴神を大きく頭上に振りかぶる。
急々如律令いそぎてりつりょうのごとくなせ!」
 乾坤一擲。
 大上段から振り下ろされた鳴神の一撃を、青年は術式による障壁の展開で受け止めた。
 とはいえ、そこまでは予想通り。迅雷ですら通じない相手に、ただの振り下ろしが通用するとは露ほども思ってはいない。
 本命は、その次。
「天槍《降御雷フルミイカズチ》!」
 刹那。
 天上から雷が振り下ろされる。
 天槍《降御雷》はその名が表すとおり、天から雷の槍を降らせる術式で、葵が使うことのできる術式の中で最高位にあたるものだ。
 鳴神を指標ストリーマーとして天から降り注ぐそれは実際の雷以上の破壊力を持ち、点に対する威力であれば核弾頭にすら匹敵する。
 その真髄は、本来ならば半径五〇メートル圏内を覆いつくす広範囲雷撃術式を無理矢理に十五センチ四方へと集める収束力。
 直撃すれば生き残る術は無く、術式障壁を用いたところで紙のように容易く破る、対城攻略用術式。
 着弾点から暴力的なほどの爆風が発生し、砂塵が吹き荒れる。
 葵は暴風に身体を乗せるようにして距離をとる。
「はぁ、はぁ……」
 巻き上がった砂塵を見つめながら、葵は肩で息をする。
 その絶大な破壊力の代償として、降御雷は莫大な干渉力を必要とする。通常の術士であればそれを賄うことすらもできないが、葵は術式の効率化に加え、儀式によって干渉力を蓄えた呪符や、呪言詠唱などの助けによってその発動を可能としていた。
 それでも、葵に残された干渉力はほとんど残っていない。
った、わよね?」
 手応えはあった。
 葵にとっては正直なところ、今の一撃は分の悪い賭けだった。
 当たれば勝ちが決まるものの、外れれば勝つのはおろか、それ以上の抵抗もできはしないし、そもそも当たるとは思っていなかった。
 だが、葵を侮ったためかそれともただ愚かだったのか、青年は迎え撃ってきた。
 賭けは葵の勝ち。
「成程、それなりの火力だ」
 砂埃の奥から、涼しげな、先程と変わらない青年の声が聞こえてくる。
 葵には信じられなかった。
 天槍は確かに、青年に命中したのだ。莫大な干渉力の行使によって一時的に感覚の薄れつつある両腕もその手応えを覚えている。
 つまり。
 青年は核弾頭に匹敵するその火力を受け止めたということになる。
「ありえ、ない……」
 信じたくない、という意味で出た言葉ではない。
 あの術式を受けて、生き残ることの出来る存在がこの世界にいるとは思えなかったのだ。
 砂埃が収まった。
 地面は十数メートルの深さまで沈下している。その中には、服についた砂埃を、何事も無かったかのように掃う青年の姿があった。
 その姿には砂埃による汚れこそあれ、傷一つ、汗の一滴すらもない。それは葵にとって最早、悪夢に近い光景ですらあった。
「そういえば君は名乗っていたな。礼儀として、私も名乗っておこう」
 十数メートルの深さにいて、大声で喋っているわけでもないのにその言葉は葵の耳に確かに届く。
 気付いた時には、既に青年は葵の目の前にいた。
「私は悦楽の無双が欠片の第二片、信楽しがらき。君……いや、お前の主人となる者だ」
 そう言って、青年は――信楽はゾッとするほどに優しげな笑みを浮かべた。
 その手が額に触れると同時、葵はその意識を闇の中へと沈めていった。

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